法隆寺全体の建築様式を教えてください><法隆

法隆寺全体の建築様式を教えてください><法隆寺全体の建築様式を教えてください>< 家庭科の宿題で調べなければいけないんですけど、

あんまり情報?がなくて、あったとしても

すごく難しいことが書いてあったり、

めっちゃ困ってます…

 

専門用語?みたいのは全然あってもいいので、

どなたかレポートにかけるような情報をよろしくお願いします!!再建法隆寺の初期の様子を3DCGで再現の為「法隆寺東院講堂」を調べていましたら質問を見ましたので、これまでの3DCG制作をとおして知った事を記します。

聖徳太子が建立された斑鳩寺と言われる創建法隆寺は現在の法隆寺の南東に隣接した位置にありました。伽藍配置は、仏門の中門から始まる回廊が縦に並んだ塔金堂を囲み北の講堂の側面に閉じる「四天王寺式」であったことが発掘調査の結果わかっています。この聖徳太子建立の斑鳩寺は670年4月30日の夜明け前に全て炎上してしまいました。再建法隆寺は焼失した斑鳩寺から敷地を移して新しい条里制にあわせて建てられています。時期は壬申の乱あたり?からで、法隆寺の僧侶、亡き聖徳太子一族、渡来系の技術者達が再建にあたったようです。再建法隆寺の伽藍配置は塔金堂を横に配し中門から始まる回廊で囲み閉じられた全く新しい配置でした。このような伽藍配置は法隆寺式と言われる独特の伽藍配置です。当初は講堂鐘楼経堂の各建物は回廊の外側でした。再建法隆寺の建物は、焼失した斑鳩寺の建築様式に習って建てられたようです。すでに新しく唐尺が使われていたのに、それまでの高麗尺を使っています。つまり唐式の寺院建築より以前の建築形式と言えます。再建法隆寺の建物は金堂が最も古く次いで五重塔中門の順に建てられていて同系ですが各部に変化もあります。講堂以下の建物は形式が違うようです。回廊はその中間です。法隆寺に限りませんが建築様式は、創建時とは関係なく時代によってその時代の建築様式を反映した形で作られ又は改修されてきたと言う事です。その様な中で特徴をあげるとすれば法隆寺の建築様式では同張りを持つ円柱、皿斗付き大斗、雲升雲肘木、雲升などが特徴と言えます。金堂においては雲升雲肘木に筋彫りが施され肘木の下には舌がついて装飾性が高いです。しかしこれらの筋彫り装飾と舌は五重塔中門では施されていません。高欄の卍崩しの格子と人字形の割り束も特徴ですが、人字形の割り束は法隆寺だけのものです。時代の推移と共に、以後の建物ににこれらの特徴が無くなっていきます。

建物はそれまで切り妻屋根が最上の形でしたが、仏教建築では入母屋、寄せ棟が重要な建物の屋根の形とされました。法隆寺金堂は寄せ棟屋根を二重にして上部の大屋根は入母屋の形です。中門も同じ屋根形式です。五重塔は寄せ棟の屋根形式で五層です。初重に比べ最上の五重では平面の低減率が半分になっています。これが法隆寺五重塔を素晴しく美しいものにしています。1300年余も前に作られ胴張りの有る円柱、深い軒の出、軒先ラインと屋根のラインは再建法隆寺の美的特徴の象徴です。そして日本の良質の檜でつくられたからこそ今日までその素晴しい形を保ことが出来、これからも素晴しい文化遺産として感動を与えてくれることでしょう。西院のみを対象にしてしまいましたが、夢殿の東院もあります。細部についてもあるのですがこのあたりで失礼させて下さい。なお法隆寺金堂の再建当初の復元図とその木組みをホームページで公開しています。CGで描いた古寺建築で検索できます。

2009.7.3 j