中学の総合の時間、能満寺原古墳の事について調

中学の総合の時間、能満寺原古墳の事について調べています中学の総合の時間、能満寺原古墳の事について調べています 今週の木曜日、発表があるのですが、7~8分は発表しなければなりません

でも、1~2分で終わっちゃいそうです

今までに書いたことは、能満寺原古墳の絵(前から見た図と上から見た図)と、出土したものと、前方後円墳,円墳のことについてです

まだ書くことはたくさんあると思うのですが、学校の資料だけでは内容が乏しいので、もう書くことがなくなってしましました

できれば能満寺原古墳のことについて書きたいのですが、もうこのさい古墳に関することならなんでもいいです

出来るだけ早く、回答お願いしますもともと、能満寺原には少なくとも8基の古墳(龍光寺上1・2号墳、東原1・2号墳、山ノ腰1・2号墳、竜光寺西1・2号墳)があったが、残っているのが現状の能満寺原古墳(龍光寺上1号墳)だけ、とか。

幸い盗掘を免れたため、大正時代に開墾の時に発見され、副葬品として、須恵器(提瓶、壺、皿)、装身具(管玉6、金環2、勾玉2)、武器(直刀2)がなどが確認されている、とか。

古墳時代後期(6世紀末)のものであるとか。

島田市旧初倉村の古墳群の一部と考えられ、その最南東部に位置している、とか。

開墾者の話によれば、中央に石組みの長方形の部屋があり、東の方へ通路がついていた、とか。

 

旧初倉より伸びる湯南原台地の最南東端で、この原の下には条里田が拡がり、能満寺原古墳の東方には大日遺跡が拡がっている。また、山の腰には神明宮がある。

 以上の事と考え合わせると、この円墳に埋葬されている人は、

 ・条里田の耕作をしていた当地方の有力者か、あるいはその祖先に当たる人物か。

 ・神明宮は式内社に擬せられているが、これに関係ある部曲の長を埋葬したものか。

 

 片岡原の古墳の研究は、神明宮・条里田・大日遺跡など相互関係や年代関係を追及する手掛かりとなるものである

 

 

こんなところでどうですか?

 

吉田には、折角いい図書館があるのだから、そこにも行ってみて、図書館の方にも相談して見てください。ありがとうございました